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認知症のこと [ヘルパー2級]


月半ばから昨日まで続いていた「ヘルパー2級」の講習会が終わった。
最後の施設実習は体力的にも精神的にもしんどかったが、何とか無事に乗り越えられ資格証をもらった。
講習会を受講しながら、介護施設の面接を受けてきたが、ことごとく年齢や経験などを理由にして、断られてきた。
自分としては認知症について関心が強く、できれば認知症の入居者を介護する「グループホーム」で働きたいと考えてきた。
認知症はその原因からいくつかに分類できる。
①アルツハイマー病(広範な脳細胞の衰退によっておこる認知症状)
②脳血管性痴呆(脳卒中によっておこる認知症状)
③鑑別困難な認知症

そして、男女別に見ると男性は②の脳血管性痴呆型が約55%なのに比べ、女性ではアルツハイマー型が39%脳血管性痴呆型が35%となっており、はっきりとその違いが分かる。この認知症であるが、日本で今後増加すると予想されている重要な病気であると言われている。
65歳以上の人口に占める認知症高齢者の割合を見ると、2006年では7.8%となっているが今から7年後の2016年では8.6%、17年後の2026年では10.0%となり27年後の2036年には10.8%までになると推計されている。

saraheは実習で多くの認知症の入居者を見てきた。「多い」と言っても、僅か4日間に見た入居者であるから、個々人が全て異なる状態にあると考えれば、限られたほんの僅かの事例なのかもしれない。

saraheは認知症の人達を見ていて、「この人達のこころのなかは、どのような状態になっているのだろうか?」という強い疑問が湧いてきた。
例えばグループホームの中を徘徊している人、この人は何故徘徊しているのだろうか?「徘徊」に特別な意味があるのだろうか?考えれば考えるほど、疑問は膨らんでいく。
参考書によると「認知症の人の行動は、周囲にとってはとても信じられないものであっても、必ず本人のなかにはそうせざるを得ない理由があると考える方が妥当だ」と書かれています。
このあたりになってくると、医学というよりは心理学の範疇に入るのではないかと思う。saraheの大好きな心理学である。

我々の身体は、物理的法則に基づく「客観的な世界」に存在する。しかし、我々の意識(精神)は、自分が構築した「主観的な世界」に存在している。夜寝ている時は身体は布団に包まって寝ると言う「客観的な状態」にあるのだが、夢を見ている時などは、人の意識はまさに自分が構築した「主観的な世界」にのみ存在しているといえる。
でも、現実の世界にあるといっても、その現実の世界に存在する「物」を知らない人にとってみれば、その「物」の理解は我々とは全く異なるものになるだろう。そして我々はその「物」を知っているので、その「物」の認識を我々が「主観的な認識」で理解する。とすれば、我々は常に「主観的に認識し、主観的な世界で生きている」と言えるのではないだろうか?

だとすれば認知症の入居者に接する時は、その人が何故そのようなことをしようとしたか、その背景を考えて声かけを行なう必要があり、その背景について我々は同じ目線で感じ考えることが必要だと思う。
この「認知症」については、まだまだ分からないことが多い疾病である。ただ、我々には理解できない行動をするからといって、あるいは普通であればして良いことではない行為を行なったからと言って、理解しないで咎めることだけで対応すると、本人にとってはとても大きな心理的なストレスを与えてしまったり本人のプライドを大きく傷つけたりしてしまう。
参考書的に言うならば「受容」をすること、否定や批判をしないこと・・・。

これが頭では知識としては分かっていても、その現場に出くわしてその状況を改善しようともがけばもがくほど、自分のこころはズタズタになり、自信をなくし、そして後悔するのだ。
何故自分は介護の世界に飛び出して行こうと考えたのかって・・・。

でも、1回でも認知症の高齢者が、saraheとのコミュニケーションの中で、何の脈絡もないやり取りの中で、「笑顔」を見せてくれた時、saraheのこころは静かに・・・そう、夕凪のように波を立てずに収まっていくのだ。

これからも「認知症」に関する勉強は、ずっと続けていくことをこころに刻み、介護従事者として働いていきたい。
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