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千葉から本日横浜の家族のもとに戻りました [徒然]

3月11日午後2時半頃、車で横浜から千葉県の東金市の病院に到着しました。叔母が先月緊急入院したので、私と妻が交代で見舞い・洗濯・家の管理など行なってきました。病室に着いて飲み物を買ってきた後しばらくして、もの凄い揺れが襲ってきました。病室は病院の3階、6人部屋でした。私は立っていられず、ベッドに掴まり揺れが収まるまでいました。

しかしながら、揺れはその後3回にわたって立っていられないほどの強烈なものでした。
電気は消えて、人工呼吸器の運転に支障が出ていることを知らせるアラームが、あたり一面に響き渡っていました。患者はみな蒼白でベッドに掴まっていました。

看護師は揺れが落ち着くと病室を廻り、患者の状態を確認して廻っていました。その後スタッフがヘルメットや懐中電灯、酸素吸入器、ボンベを持って走っていました。しかし、次々と起こる大きな余震に作業は滞りがちに。
揺れと揺れの間に、病棟からの避難指示が院長から出され・・・

エレベーターが動いておらず、3階からの避難は階段を使うしかないのです。私は叔母を背負い、階段を下りて敷地内の駐車場まで避難しました。看護師の方たちが下ろしてくれたベットのマットが敷かれ、その上に寝かせて毛布をかけました。その時にも大きな余震が次々と起こります。
すぐ近くの九十九里では津波がきたとの報告があり、もの凄く緊張しました。

1時間ほど待ってから、やっと病棟に戻ることが出来ました。やはり背負って階段を上がって・・・


停電で街は真っ暗。交差点には警察官が出て、手信号で整理していました。道路は大渋滞でした。
やっと叔母の家に戻ると、室内は荷物が散乱していました。高齢での1人暮らし。荷物は少ないのですが、それでも足の踏み場もないほど。真っ暗な中を懐中電灯で照らしながら、整理を始めて終わるまで3時間を要しました。電気・ガス・水道・・・全てストップ。寒くて毛布3枚掛けてました。強い余震が続くのと寒さで結局一睡も出来ませんでした。

その後JRの運転見合わせや計画停電などがあり、結局地震発生後6日目にして漸く横浜に帰ることが出来ました。車を置いたままで・・・
ガソリンがどこを探しても売り切れで、結局買えずに計画停電で70%で運行していた外房線・総武線・東海道線を乗り継いで。

実家のある秋田県大館市もひどい揺れで停電だったようです。連絡が全く取れず、心配しました。
やっと翌日になって、携帯メールが戻ってきました。

それよりも心配なのは、韓国留学を一緒にしていた、仙台市から来ていた友人との連絡が取れないことです。もう6日が経過していますが、未だに連絡が取れません。津波が海岸から10kmも遡って上がってきた地区です。
どうかどこかに避難していて欲しいのです。毎日、祈っています。

韓国留学中に下宿をしていた時に一緒に生活をしていた韓国人の友人から、先ほど確認したメールに4通安否を心配してくれたものがありました。すぐに返事を書いて返信しました。1年弱の間でしたが、語学の勉強だけでなく、よい友人を多く持てたことに涙が出そうでした。

被災地では医師の数が不足しているようです。原発の避難区域に当たっている南相馬市では、医師が真っ先に避難指示の区域を越えて出て行ったそうです。被災者や自分の患者を置き去りにして・・・

私の長男が被災地に入って医療活動を行なっています。DMAT(災害派遣医療チーム)の一員として活動しています。医薬品や医療機器が不足し、インフラが全てストップしており、かつ災害から時間が経過しているなかで、厳しい現実に直面しているのではないかと思っています。

日本国民はこの未曾有の災害を必ず乗り越え、世界にその姿を示すことが出来ると信じています。
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コメント 4

collet

saraheさんもご無事で良かった良かった!!
どうしてらっしゃるかと心配してました。
それにしても、入院中の叔母様、
saraheさんがちょうどそばにいる時でどんなに安心だったか・・・
それを思うと不幸中の幸いのように思います。
そして仙台のお友達とも連絡がとれること、
わたしもお祈りしています。

頼もしい長男くんも頑張って~~(^o^)/
by collet (2011-03-17 12:44) 

maki

本当に酷い揺れでしたね。
しかも今度は放射能で、、、
千葉辺りは放射能区域に入りそうだから
横浜に戻られてよかったです。

被災者の安否については
まだ確認が取れていない方も多いですし
何より連絡の手段が途絶えているところがまだあるので
気を落とさず無事を願いましょう。

医療従事者の息子さん、心強いですね。
現場で働くのは本当に大変だと思いますが
若さで乗り切って欲しいです。
by maki (2011-03-17 20:54) 

sarahe

☆ご心配いただき、ありがとう。
地震には慣れている関東地方の人間でも、今回の地震は本当に凄い揺れでした。京都で阪神・淡路大震災を経験しましたが、その時と比べても揺れの程度は比較にならないほど大きなものでした。

叔母にとっては私がいたので、少しは安心していたのだと思います。それでも避難の時には恐ろしくて、背負っている身体が振りえているのが分かるほどでした。

仙台の友人とは、未だに連絡が取れません。ネットや携帯サイトの安否確認の伝言板などを見ていますが・・・
彼女の顔を夢に見るような時もありました。大丈夫、元気で避難生活をしているはずと思っています。

長男は岩手県南部に入っているようですが、二次災害だけには気をつけて欲しいと思っています。そして、できる限り多くの被災者に対し、適切で早い治療を施して欲しい。雪が降り氷点下の冷え込みで厳しいですが、君よりも更に厳しい環境に置かれている被災者のことを思えば、そのくらい何とも無いはずだと・・・

by sarahe (2011-03-18 15:48) 

sarahe

☆酷かったですね。横浜は震度5強だったようです。千葉の方は震度6弱だったとのことで、病院の3階ということもあって揺れは恐ろしかったです。
あとで分かったことですが、看護師の家が津波で流されてしまったようです。家族は非難して無事でした。何と声をかけてあげたらよいか・・・
彼女は地震の時に各部屋を廻って、入院患者の状態を確認していたのです。

放射能被害の問題は、これが落ち着いてからも長期間に渡って我々を悩まし続けることでしょう。韓国人の友人は3月からの日本留学を諦めたそうです。各大学でも同じように諦める人が多くなっているようです。少し大袈裟過ぎるきらいはありますが、留学の機会はなくなるわけではないので、遭えて不安なところへ出かけなくてもいいよと伝えました。

長男は岩手県南部の被災地に入っているようです。全国からDMATのチームが派遣されているようですが、医師・看護師や医薬品・移動に使うガソリンなどなど、満足な状態ではないと思われます。また積雪でより厳しい環境に置かれていると思いますが、1人でも多くの被災者のかたを診てあげて欲しいと思います。
by sarahe (2011-03-18 16:06) 

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