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ぺ・ヨンジュン씨 「한국의 아름다움을 찾아떠난 여행」を買う [読書]

この本が出版されてからかなり経つと思いますが、昨日やっとカンファムンにあるキョボムンゴで買ってきました。
18,000ウォンでした。

一般書籍のある辺りで一生懸命探したのですが無く、店員に聞いてやっと見つけることが出来ました。「写真集」扱いとなっているようで、それがある辺りに積まれていました。

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目次はこんな感じです。

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彼が自身で書いた文章なのでしょうね、すごく読みやすい文章だなと言うのが、まだ10ページくらいしか読んでいませんが実感です。
学校で学んだ文法や単語が、あちらこちらに出てきて、「あっ、これだ!」とか「ふ~ん、文章になってみればこういう表現なんだ」とか思う所がたくさんあって、読み進むうちに勉強した復習にもなるような気がしてきました。

そして嬉しいことに、日本にいた時には少しの文章を読むにも辞書を何回も引いていたのが、3級を終え4級の勉強をする中で、確実に実力が上がっていることを実感できる・・・辞書を引く回数が極端に減ったのです。
これは嬉しかったな~。

この本に載っている写真の中で、ソウルの国立中央博物館を訪れているものがありました。私もここには留学して1ヶ月くらい経った頃に行きましたが、そこで見た展示物が写っているんですね^^
この本の冒頭に国立中央博物館館長の文章が載っていますが、ぺ・ヨンジュン씨のことを大層褒めています。博物館が果たすべき役割とともに書かれています。「へ~・・・」と感心しながら読んでいました。

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掲載されている写真の数々、これも彼が撮ったものが多いのでしょう。アングルと言うか被写体をどう選択するのか、そういう感性みたいなものも窺い知れる気がしました。


また、素顔の彼を見ることも出来ます。これは「도자기」という中に出てくる写真です。真剣な表情です。

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これは「김장」と言って、キムチを漬けることを意味する言葉です。彼はこれに挑戦しています。ただ単にやるのではなく、韓国の食文化の中心的な「キムチ」をきちんと理解し、そして先生からいろいろと指導いただいた後にキムチ漬けをやっているのです。
韓国では11月下旬から2月頃までに、1年間に食べるキムチを漬けるのです。大変な作業なので、最近の若い奥さまたちはこれをやらず、スーパーなどで出来あいのものを買ってくるようです。
日本で「糠床」を代々受け継ぐということが少なくなっていることに、何となく共通するものを感じました。
ぺ・ヨンジュン씨の子供のような笑顔^^

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これは日本に来た時のこと。岩手県の盛岡近くの漆を使った工芸家(たぶん有名な方)のところで指導を受けているところ。

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そして韓国の食文化から器の話。
お酒と風流・・・가양주(家醸酒・・・家で造った酒)とは、昔양반(両班)の家で行なわれた接待文化から発生したもの・・・
いろいろなことが、歴史を織り交ぜながら綴られており、読むと勉強になること請け合いだ。

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この本は日本で発売されているのでしょうね。日本語訳されて。

これはぺ・ヨンジュンファンだけでなく、韓国と言う国やその国の文化・歴史に関心のある方々にも、お薦めしたい本です。

たぶん、日本買えば大変高い価格となっている気がするのですが・・・
ソウルで買えば18,000ウォン(1,300円程度)なのです。ただ、韓国の他の物の値段と比較すると、やはり高いと言えると思います。
デジカルビやサムギョプサルをタラフク食べてもこの値段以下でしょう?


下宿のアジュンマに言わせると「saraheさん、これは高い。こういうのは買わないで、図書館で借りるに限るのよ」とのこと。
また日本のBOOK OFFのようなところに出回るようになってから買うのだそうです。
「アジュンマ 恐るべし」です。

ソウルはもうすっかり冬の装いになりました。
大学構内のイチョウは紅葉して散り、ギンナンもポトポトと落ちています。
昨日までは強い寒気が襲って最低気温が-1℃となりましたが、今日から少しずつ昼の温かさは戻るようです。
下宿のオンドルも学校のボイラーも入りました。

ではまた^^



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冷房の効いた部屋で読書 [読書]

最近、本の買い方が変わった。昨年までは帰宅途中の書店に入り、興味を引きそうなジャンルへ行って、実際に本を手に取りペラペラページを捲っては立ち読みし、そして買うか買わないかを決めるというスタイルだった。
ところが、今年3月からヘルパーの仕事を始めてからは、自宅と仕事場のグループホームの往復がメインで、休日は身体を休めるため家から出ないことが多くなった。

そして、好きだった書店巡りもしなくなり、最近ではネットで購入するようになった。

本の中身は「立ち読み」と称して数ページを拾い読みすることができる本もあるが、殆どは「帯に書かれたキャッチ」を見て目次を見て決める。
一定金額以上だと送料が無料になるし便利。
ただし、ついつい買い過ぎることが多く、そこがネックと言えばネックか。

最近買って今読んだ本あるいはこれから読む本は、このようなもの。

「病院で死ぬということ  山崎 章郎(やまざき ふみお) 文春文庫」
「続 病院で死ぬということ・・・そして今、僕はホスピスに」
「散るぞ悲しき  梯 久美子(かけばし くみこ) 新潮文庫」
「蹴りたい背中 綿矢 りさ  河出文庫」
「苦海浄土  石牟礼 道子  講談社文庫」
「火花  高山 文彦 角川文庫」
「澁江 柚斎  森 鴎外  中公文庫」
「NHK トップランナーの言葉 三笠書房」
「そして戦争は終わらない  デクスター・フィルキンス  NHK出版」

上2冊は著者が医師で、末期ガンの患者たちの闘病と死に立ち会って思ったことを綴っている。2冊目は特にガン患者が増えているのに、末期ガン患者を対象とした「終末期医療」のお粗末さに、憤りを通り越して悲しみを覚える。父をガンで亡くした私にとって、ガンによる「ガン性疼痛の凄まじさ」を目の当たりにしており、末期ガン患者の尊厳を守りながら人間らしく死を迎えることの大切さを感じている。

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「散るぞ悲しき」は硫黄島総指揮官であった「栗林 忠道」が、妻や子に宛てて書いた41通の手紙から、彼の姿を追うものである。自ら名誉の自決を選ばず、部下たちと敵陣に突撃して果てた彼。玉砕を禁じたと言われているが、敵陣に突撃して果てたことは「玉砕」ではないのか?私はこの疑問から解放されたくて・・・これから読むところだ。

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「苦海浄土」は著者が水俣病の現実を伝えた名著である。現代社会の歪みの典型的な事件である「水俣病」。これをドキュメンタリーと言うより「文学的に深い人間描写によって表現した」ものと考えた方がしっくりくる。
「水俣病」は、戦後日本が抱えた社会的な矛盾や経済優先主義の歪みの「原点」であると思う。

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「澁江 柚斎」は鴎外が晩年54歳の時に新聞の連載として発表されたもの。江戸時代末期の医師であり考証学者でもあった 澁江 柚斎を、鴎外は克明な調査を行なって、人物像を描き出した。
文豪森鴎外の不朽の名作だと言われている。

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「火花」は、23歳でこの世を去ったハンセン病の作家・北条民雄を描いた作品である。刻々と深まる病と差別の中で、魂を削るように言葉を生み出し続けた北条民雄。高山文彦は僅か23歳で夭逝した北条民雄の絶望と愛・生の輝きを克明に綴った。

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「そして戦争は終わらない」は、デクスター・フィルキンスの著書である。彼はニューヨーク・タイムズ紙の海外特派員である。アフガニスタンそしてイラクに派遣された彼は、「テロとの戦い」の現場で様々な矛盾を感じる。それはアメリカの介入であり、部族・宗派間の対立であり、それらが一般民衆とはかけ離れたところで行われている。そして犠牲になるのはいつも一般民衆だ。
この作品は2009年3月に全米書籍批評家協会賞を受賞した。そして「ニューヨーク・タイムズ紙」年間ベストブックにも選ばれた。468ページとページ数は多いが、とても読み応えがある。でも、10日間で読んでしまった。   

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冬はコタツに入りみかんを食べながらの読書が最高だが、夏は・・・クーラーの効いた部屋で読書がいい。


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最近読んだ本~【死ぬときに後悔すること25】 [読書]


最近になって漸く仕事にも慣れ、介護の仕事の楽しさと難しさを感じている。
1日の仕事を終えて風呂に入り、食事をして寝るまでの間、読書と韓国語の勉強をするのが日課となっている。
先週まで読んでいた本は、山崎豊子の「運命の人①~④」であった。
彼女の著書は好きな部類に入る。事実を丹念な取材で徹底的に調べ上げ、それを「小説風」まあフィクション的な感じに纏め上げるのだ。皆さんも「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「大地の子」「沈まぬ太陽」などの著書を、読まれたのではないかと思う。

「運命の人」は沖縄が本土復帰を果たした時に、本来アメリカ側が負担すべき費用を、様々なからくりによって日本側が負担することを約した密約の存在を、当時の毎日新聞社の政治部記者が外務省の女性職員から手に入れた資料によって明らかにしたことを書いている。俗に言うと「外務省機密漏洩事件」だ。
一審では知る権利を認め記者は無罪、情報を流した女性職員は国家公務員法違反で有罪となった。
二審では一転して両者とも有罪とされ、最高裁でも二審の判断を指示して有罪が確定した。
国民の知る権利はどこまで許されるのだろうか、機密とされている行為が国民を欺き国益を損なうものであった場合、それでも国家公務員を唆して情報を入手するという行為が、法に触れると判断されるのか・・・。
一人の有能な記者の人生を変えてしまった事件を、丹念な取材で追っていく彼女の手法が私は好きだ。
4巻に分かれていたけれど、あっという間に読み終えてしまった。久しぶりに読み応えのある本だった。

そして今読んでいる本がこちら↓

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本のタイトルは「死ぬときに後悔すること 25」 サブタイトルとして「1,000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた」とある。
著者は「大津 秀一」
出版社は致知出版社   1,575円(税込)

目次は次のようなものだ。

第1章 健康・医療編―死ぬときに後悔すること1;第2章 心理編―死ぬときに後悔すること2;第3章 社会・生活編―死ぬときに後悔すること3;第4章 人間編―死ぬときに後悔すること4;第5章 宗教・哲学編―死ぬときに後悔すること5;第6章 最終編―死ぬときに後悔すること6

簡単な書評が載っていた。
【ほとんどの人は死を前にすると後悔するという――では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。「健康を大切にしなかったこと」「他人にやさしくしなかったこと」「故郷に帰らなかったこと」「会いたい人に会っておかなかったこと」など、儚くも、切ない思いが行間から滲み出てくるようで胸が締め付けられる。例外なく、死はすべての人に訪れる。だからこそ、1人でも多くの人に後悔の少ない人生を送ってほしい。心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が綴った切実なメッセージが心に響く1冊である。 】

今から「死ぬときに後悔する・・・」など縁起でもないとか、自分が生きたいように生きることができる人なんているのだろうかとか、いろいろとあるように聞いている。

私は父親を30歳のときに亡くしている。父は国家公務員で、昔のスタイルそのもの「滅私奉公」の典型的な公務員だった。一時期は専門家を育てるために、大学の教壇にも立ったことがある。そんな父の姿を幼いころからずっと見てきたので、自分も公務員になろうかと本気で考えていた。だから、大学2年から大学の特別講座として始まっていた国家公務員試験講座にも最初から参加していた。
折しも第2次オイルショックの翌年に就職をするという未曽有の氷河期であったことで、公務員の安定性が持て囃されて、受験資格が高卒程度の初級試験に大量の大卒が受験するようになっていた。

私は第一志望公務員、第二志望民間資源会社としたが、実際は公務員試験対策だけしかやらなかった。
運良く公務員試験の1次をパスし、2次試験を受け、そして10月1日解禁の民間会社の就職説明会に朝早くから並んだ。TVのクルーが撮影に来ていた。当時は就職協定が守られていたようだ。
最終的には公務員と民間のどちらに進むかで相当迷った。
父親は当然なこととして公務員を勧めた。でも、自分のこころの中では、父の勤務スタイル「滅私奉公」は自分には出来ないと思い始めていた。それと参加していた「労働問題研究会」というサークルやゼミとして選んだ「労組法・労基法」での勉強で、公務員の労働3権の制限や政治的活動に関して深く学んでいくうちに、180度方向転換してしまうことになった。
父は落胆の色を隠さなかったが、私は自分の進むべき道を自分で選んだことに後悔はなかった。(その当時の素直な感想です)

そして結婚。両親には「俺結婚したいと思っているから、今度帰ったら話す」と一方的に電話で伝えた。
就職してまだ3年しか経っていなかった。

転職もまた然り。年収が1/10になりボーナスもなく肉体的に結構辛いヘルパ-の仕事に就いたことも然り。
韓国への留学もその延長かもしれない。そして通訳・案内士の資格にチャレンジすること。

こう見てくると私は、自分のやりたいことをやりたいようにやり、そして生きてきたように思う。
周りの戸惑いや不安など意に介さないようにして。
でも、この本を読んでいるうちに、「自分はやりたいことをやってきてその面では後悔はないかもしれないが、両親・妻・子供たちには苦労をかけたという気持ちがあり、後悔ではないけれど何とも自分勝手なことをしてきたな」という気持ちが強くなっていった。
この気持は今までも感じていた。

逆に妻などは私と結婚したことに、一番大きな後悔の念を持っているかも知れない。

私はこの本を読んで「後悔しないように生きてきたことを後悔しないように」と改めて思った。

何故こんな気持になったか・・・それは今日が私の53回目の誕生日だからである。
そんなことはどうでもよいこと?
ハイ、左様でございます。
ではこのあたりで失礼をばいたします・・・





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「人間の覚悟」 五木寛之 [読書]


五木寛之、彼を知ったのは「青春の門」だった。
九州筑豊の炭鉱町、そして東京での学生生活。
私はこれから経験するであろう大学生活を思い、あるいは失恋で疼くこころを癒し、この本を読んでいた頃を思い出す。

そんな五木寛之であったが、最近というか少し前から・・・いや鬱病に罹患しては寛快することを3回繰り返した頃からか、あるいは彼の年齢がそうさせるのか、彼の作品には大きな変化が見られるようになった。
書かれる文章のトーンが、極端に暗く鬱々としたものに変わってきたのだ。

私は今「人間の覚悟」という本を読んでいる。昨年の11月に刊行されてから5か月になろうとしているが、もう8刷を数えるほどの人気である。
その本の冒頭に書かれている文を書いてみる。

そろそろ覚悟を決めなければならない。「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受け止めることである。これから数十年は続くであろう下山の時代のなかで、国家にも、人の絆にも頼ることなく、人はどのように自分の人生と向き合えばいいのか。たとえこの先が地獄であっても、だれもが生き生きした人生を歩めるように、人間存在の根底から語られる全7章

そして「目次」は次のような内容である。

1.時代を見すえる

2.人生は憂鬱である

3.下山の哲学を持つ

4.日本人には洋魂は持てない

5.他力の風にまかせること

6.老いとは熟成である

7.人間の覚悟

私は今現在第3章を読んでいる最中である。第1章の冒頭から書かれているトーンは、何となく暗くて鬱々とした感じがする。これが7章まで続くのかと考えると、さすがにうんざりするなと思っていたが、途中から彼の言いたいことが、何となく分かるような気がしてきた。あくまでも「気がしてきた」という曖昧とした感覚である。

人生80年と考えると、私は52歳で残り30年弱。
子供2人は巣立っている。今は妻と実母との3人暮らし。
自分の年金がきちんと支給されるのか、例の年金事件が明らかになり今後の年金支給額を切り下げるという話もよく聞く。
国に頼りっぱなしでは、自分の老後や子供たちの将来も、どうなるか分からない時代である。
自己責任で考えていこう、これからの生活スタイルや生きざまを。

その為の「覚悟」をどのようにつけるか!

今、コーヒーを飲みながら(makiさんのエコ対策の記事を読んで、究極のエコ「インスタントコーヒー」)タバコを銜え、記事を書いている。

今日も午後6時から入浴介助の仕事がある。
来月には「ガイドヘルパー」の資格を取れと言われた。障害者が社会と触れ合う機会を増やすこと、そのためにはガイドヘルパーの資格を取得して、土日に外へ出かける付添になることが必要。

今年のGWはずっと仕事が入っている。社会人になって初めてのこと。利用者には休日もGWも関係ない。我々ヘルパーは24時間 365日仕事がある。
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久しぶりの素敵なBook [読書]


いよいよ今月末で退職することとなって、残すところあと2週間となりました。
いろいろな部門にいる元部下や採用した社員から、なぜ辞めるのかといったメールがたくさん届いていて、ちょっと複雑な気持ちで過ごす毎日です。
夜のお誘いも多くて、先週は3回、今週も3回予定があります。
デスクの整理をしている時、過去に書いた備忘録のノートが10数冊でてきました。
それらを開いて書かれてあるメモを読んでいると、遠い日の出来事が脳裏に蘇ります。
苦しかったこと楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと・・・

そんな状態で残り2週間を過ごすと思うと、何とも言えない気持ちになってきます。

さてさて、今回は今読んでいる本の紹介です。

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「思想としての全共闘世代」
著者は「小阪修平」氏で、東大に入学するも折しも60年安保の時代で、そして東大安田講堂闘争、全共闘の組織化、70年代・80・90年代のそれぞれの闘争の姿を、著者の視点でその活動の中に身を置いた者の視点で書かれています。

団塊の世代と言われる人たちの多くが、この全共闘の世代なのです。

私は74年入学ですから、60年代後半の全共闘全盛時代を多感な中学生・高校生として過ごしてきましたが、東大安田講堂の攻防戦をTVで見ていましたし、エンタープライズ寄港反対闘争やもう少し前のことですが東大全共闘の山本義隆や今井澄、そしてあの日大闘争の秋田明大議長などの主張などを読んだりしていた少し「おませ」な学生でした。

私達が大学に入学した時代は、全共闘の時代ではなくその時代の中で分裂していった党派の内ゲバの時代でした。
そして成田空港反対闘争としての「三里塚闘争」が、また三菱重工ビル爆破や警察官僚や交番を狙っての爆弾闘争が盛んに行なわれていました。

この本を読んでいくことでこれら全共闘世代の人達は何を残してきたのか、何を目標としていたのか、それらを知ることができるのです。
私もデモに参加したこともありますし、タテ看に主張を書いたりしたこともあります。
学生会館の自主管理闘争もありました。
毎年学費値上げ闘争がありましたし、バリケード封鎖はありましたし、後期試験はレポート提出に変更になったりしました。

でも、我々には彼ら全共闘世代に対しての羨ましさみたいなものがこころにあったし、一方で戦術が稚拙だったと批判もしたものです。

この本を読みながら、遠い昔の生き生きしていた頃の自分を思い出していました。

「思想としての全共闘世代」
小阪修平
ちくま新書
700円(税抜き)
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最近嵌っている本 [読書]


最近好んで読んでいる本があります。
ジャンルとしては、ミステリーなのですが、これがなかなか面白くて辞められないんです。
先週は金沢に出張だったのですが、行き帰りの列車のなかでわき目も振らず会議の資料もそこそこに、本を読んでいました。

著者は「海堂 尊(かいどう たける)」という現役の勤務医です。
医療現場で引き起こる事件を題材にしていて、少し間抜けだけれど人間としては温かみのある医師 田口と、厚生労働省の凡そ官僚らしくない型破りだが仕事は出来る白鳥とのコンビで事件を調査していく。

最初に読んだのが「チーム・バチスタの栄光」。
第4回「このミス」大賞の受賞作です。

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文庫版が出ているので、上・下それぞれ500円と手頃な値段。

この作品は映画化やTVドラマ化されているので、ご存知の方は多いと思います。
主人公の2人は対照的な性格の人物として捉えられていますが、お互いの不足している部分を補っている最高のメンバーです。
「バチスタ」とは心臓外科の術式の一つですが、従来は心臓移植しか方法がなかったものが、この方法を採用することで移植が禁じられている子供への治療が可能となったのです。

よく「神の手」などと称される「心臓外科医」や「脳外科医」のなかで神業のような手術が出来る医師。
その多くが海外で経験と技術を積み、日本に帰ってくるというパターンが多いようです。

そして今読んでいて、もうすぐ読み終わるのが「ナイチンゲールの沈黙」という本です。

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海堂さんは勤務医なのですが、執筆のスピードは3ヶ月に1作品という早業。
勤務医の労働環境はとても厳しいものがあるなかで、作品を生み出すこのスピードは信じられないものです。
どうやって執筆に必要な時間を生み出しているのか・・・
一度聞いてみたいな・・・

来月の7日には新作が発売されます。
「イノセント・ゲリラの祝祭」という題名です。
こちらは文庫版ではないので1,575円なんですが、予約段階で凄い数字だそうです。
私も予約しました^^

秋の夜長はやはり「読書」です!

でも、読んだ端から忘れていくので・・・妻は「それは読んだうちに入らない!」と・・・
お説ごもっともです(^^;



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本を読む 「臨床瑣談」 [読書]

10月になってから、日が暮れるのが早くなった。会社が終わる5時半には、既に外は暗い。
「読書の秋」とはよく言ったもので、秋の夜長は本でも読んで教養をつけようというものだ。
一方では「食欲の秋」とも言われ、メタボで苦しむ私などは、家族が食べるお菓子や清涼飲料水などに手を出せないので、その分晩御飯の量が少しばかり増えるのだ。

さて、今私が読んでいる本を紹介しようと思う。

【臨床瑣談】という本である。中井久夫氏が書かれたもので、みすず書房から出版されている。中井氏は精神科医である。「臨床瑣談」・・・瑣談、この字の意味が分からなかった。漢和辞典で漸く理解できた。
出版社の「みすず書房」は私が好んで買うところだ。少々根が張る書籍が多いが、読み応えのあるものが多い。


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この本に関しての「書評」がある。少し長いけれど、紹介する。

「〈臨床瑣談〉とは、臨床経験で味わったちょっとした物語というほどの意味である。今のところ、主に精神科以外のことを書こうとしている」
本書は、精神科医としての長年の経験をとおして、専門非専門にかかわりなく、日本の医学や病院やその周辺について「これだけは伝えておきたい」という姿勢で書かれている。多方向からの視線ではあるが、病名を告知された患者側ができる有効なことは何かに主眼がある。
「現代は容赦なく病名を告知する時代である。告知の時代には、告知しただけの医師の覚悟も必要であり、また、告知された患者も茫然たる傍観者ではなく、積極的に何かを行ないたいだろう。患者もその家族、知己も、いつまでも手をつくねてドアの外で待つだけの存在では済むまい」
院内感染を防ぐには患者側はどうすればよいか。脳梗塞の昏睡患者を前にして家族にできることとは。さらにガンを持つ人の日々の過ごし方について、「丸山ワクチン」について――。その実用的な助言は、現代医療批判でもあり、自然回復力の大切さと有限性も視野に入れながら、医学の可能性と限界をくっきりと映しだしている。


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「臨床瑣談」の著訳者:中井久夫
なかい・ひさお
1934年奈良県生まれ。京都大学医学部卒業。神戸大学名誉教授。精神科医。著書『中井久夫著作集――精神医学の経験』全6巻別巻2(岩崎学術出版社、1984-91)『分裂病と人類』(東京大学出版会)『記憶の肖像』(1992)『家族の深淵』(1995)『アリアドネからの糸』(1997)『最終講義――分裂病私見』(1998)『西欧精神医学背景史』(1999)『清陰星雨』(2002)『徴候・記憶・外傷』(2004)『時のしずく』(2005)『関与と観察』(2005)『樹をみつめて』(2006、以上みすず書房)ほか。共編著『1995年1月・神戸』(1995)『昨日のごとく』(1996、共にみすず書房)。訳書としてみすず書房からは、サリヴァン『現代精神医学の概念』『精神医学の臨床研究』『精神医学的面接』『精神医学は対人関係論である』『分裂病は人間的過程である』『サリヴァンの精神科セミナー』、ハーマン『心的外傷と回復』、バリント『一次愛と精神分析技法』(共訳)、ヤング『PTSDの医療人類学』(共訳)、『エランベルジェ著作集』(全3巻)、パトナム『解離』、カーディナー『戦争ストレスと神経症』(共訳)、クッファー他編『DSM-V研究行動計画』(共訳)、さらに『現代ギリシャ詩選』『カヴァフィス全詩集』『リッツォス詩集 括弧』、リデル『カヴァフィス 詩と生涯』(共訳)、ヴァレリー『若きパルク/魅惑』などが刊行されている。
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

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目次
まえがき
虹の色と精神疾患分類のこと
院内感染に対する患者自衛策試案
昏睡からのサルヴェージ作業の試み
ガンを持つ友人知人への私的助言
SSM、通称丸山ワクチンについての私見
軽症ウイルス性脳炎について

この本の関連書

インフォームド・コンセント [著者] ルース・R・フェイドン
[著者] トム・L・ビーチャム
[訳者] 酒井忠昭
[訳者] 秦洋一

精神病者の魂への道 [著者] ゲルトルート・シュヴィング
[訳者] 小川信男
[訳者] 船渡川佐知子

最終講義 [著者] 中井久夫

看護倫理 1 [著者] ドローレス・ドゥーリー
[著者] ジョーン・マッカーシー
[訳者] 坂川雅子

看護倫理 2 [著者] ドローレス・ドゥーリー
[著者] ジョーン・マッカーシー
[訳者] 坂川雅子

看護倫理 3 [著者] ドローレス・ドゥーリー
[著者] ジョーン・マッカーシー
[訳者] 坂川雅子

サリヴァンの精神科セミナー [著者] ハリー・スタック・サリヴァン
[編] ロバート・G・クヴァーニス
[編] グロリア・H・パーロフ
[訳者] 中井久夫



読み始めてまだ1日しか経っていないけれど、読んでいてとても面白い。
書かれているテーマも、日頃何かと耳にするもので、関心を持って読むことができる。

秋の夜長にウイスキーのロックをちびりちびりやりながら、ページをめくるなんて・・・贅沢なひと時を味わえる。



 臨床瑣談(りんしょうさだん)
 中井久夫 著
 みすず書房出版
 1,800円(税抜き)
 2008年8月22日発行
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なんとな~く・・・読書 [読書]


昨日の晩に書店を覗いていたら、新刊書のコーナーで見つけた本に引き付けられた。
本の名前は「麻酔科医」。
パラパラっとめくって読んでいくうちに、どんどん惹かれていく。

著者は 江川 晴(えがわ はる)という女性だ。
1924年生まれというから、今年84歳。
凄いな~うちの母親と同い年だ。。。

この方は慶応義塾大学医学部付属看護婦養成所を卒業し、付属病院勤務を経て日軽金診療室勤務。
1980年56歳の時に「小児病棟」で第一回読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞優秀賞を受賞した。
その後も医療小説を書き続けている。

うちは家族に2人の医療従事者がいるので、このような医療小説や医療関係雑誌、インターネット配信など多くの医療情報に接する機会がある。

この本だって「麻酔科医」を希望している長男のことがあるので、題名でチョイスしたのです。
たぶん題材としている事例は、実際に著者が看護師時代にあったことをベースに、脚色しているのではないかと思う。

「麻酔科医」の高いニーズとは裏腹に、手術を執刀する外科医のお手伝いにしか見られてこなかった現実もあり、また、術中・術後管理の難しさから嫌気をさして他の分野に移っていくなど、厳しい現実がある。

その辺りを小説の中で上手に触れながら、「麻酔科医」の仕事と悩みを描いていく。

また、終末期医療の課題にも話しは及ぶ。
303ページであるが、1日でもう半分読んでしまった。

読んでしまったら、長男に送ろうと思う。
まあ、あまり暇はないだろうが、読んでもらえれば参考になるのではと思う。

その本にこんなくだりがある。少し長くなるが、書いてみようと思う。

「医学を志す誰もが、自分の学んで得た医学は、すべての病気を治癒し、病人を元気な社会人に戻すことができると信じて臨床現場へやってくる。自分も若い時は医療は人類に希望と幸せをもたらす仕事と信じて疑わなかった。でも現実は、それとは全く正反対の運命を背負っている患者さんの治療にたずさわらなければならないことが、しばしばだった。それに大きなショックを受ける。  大げさかもしれないけれど、医療の究極は、患者の死とどう向き合えるか・・・にあるのとちがうだろうか?我々医師は、ともすると、死を予定されている人に敗北を感じ、希望を失いそうになったり投げやりな態度を取りがちであるが、そうではなく、医師が最後の最後まで、希望を持ち続ける、その姿から、患者さんも死を恐れない勇気を感じて生ききることができると違うのだろうか」

このあたりのことは、一人医師だけではなく、看護師をも含めた医療従事者全体に言えることだと思う。

看護師不足が言われている。出産を機に辞めてしまうケースが多いと聞く。
しかし、このあたりのことが、復帰を思いとどまらせている要因になっている気がしてならない。
一生懸命看護に尽くしたけれど、最後は亡くなられて退院。。。
敗北感、虚無感がこころを支配するのだろう。

妻は看護師だけれども、家に帰ってまでも病人の看護はしたくないと言う。
私が具合が悪く会社を休んでいる時など、時として物凄く冷たいもの言いになることがある。
病院でもそうなの?と聞くと、そんなことあるわけないでしょ!
家でだからそうなるの!!!っと・・・

これだものね~でも、まあ仕方のないことだよね。

今日は日勤の後仮眠して、そのまま深夜勤務で明日の9時ころまで。
家に帰ってくるのは昼前。
そして日曜日は14時頃出勤しての準夜勤勤務。
「ご苦労様です^^」

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書籍紹介 「麻酔科医」   江川 晴 小学館 1,600円(税抜き)
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こころの安寧を求めて [読書]

最近というか前からというか、こころの安寧を求めて様々な本を読んでいます。
友人や妻からは「本なんか読んだってダメ。自分のこころの問題なんだから、自分で思いの連鎖を断ち切るしかないのよ!」って言われてます。
でもね、何かにすがりたい時ってありません?
何か考えるヒントが欲しいとか・・・
あるいは自分でいろいろと考えているんだけれど、なんかもやもやとして「これっ!」だって見い出せないとき、頭の中で漠然としてて言葉にならないとき、こんな時に本を読んで「そうそう・・・こういうことなんだよ!」って膝を打ちながら読むことってありません?

というわけで、図書館から6冊も借りてきました。

まずはこれ。
大前研一著 「50代からの選択」
今どうしようか考えていることがあるのですが、その選択をすべきか否か・・・この本を読みながら考えています。
妻には話しをしましたが、「それでどうするのよ・・・! その選択が悪いとは思わないけれど、今がその時なのかしら?あなたの考えていることは前から知っているけれど、今でないとそれが出来ないわけ?」って。。。。。

まあ、予想はされたリアクションですが、どうして分かってくれないのかな~という気持ちがこころに残ります。

「50歳前後の人に必要な棚卸し、それは死ぬまでの約30年を充実させるための人生全体の棚卸しが必要なのだ」・・・人生を幸せに終えられるかどうか、そのために今自分がやっていることは必要なことなのか。

うんうん、そういうことなんだよな~~って、妙に納得してしまう自分がいる。
「だから、今自分にとってやることはこれなんだよ!これをやって最後を迎えるなら、何も思い残すことはない」

でもね・・・ここでいつも聞こえてくるのが悪魔の囁き。。。
「おいおい、それってさ~~現実逃避じゃないのかね。。。苦しいからそれから逃げるんだろうが。情けないね・・・」こんな囁きが聞こえてくる。

ここでいつも堂々巡りをしてしまう。そして結論を先延ばし。お決まりのパターン。

そして今読んでいる本。
リチャード・カールソン著 小沢瑞穂訳 「小さいことにくよくよするな!」
このなかに次のようなくだりがある。

「こころに正直に生きていないときは心に葛藤が生まれ、短気になったり退屈したり、過剰に反応したりする。自分にとってなにが真実か、どんな暮らしを望んでいるのか、どんな人になりたいのか、こころの奥では分かっているはずだ。あなたの行動がこころの知恵と一致していなければ、不満とストレスを感じるだろう。こころに正直に生きることを学べば不満やストレスは軽くなり、もっと穏やかでハッピーな人になれるはずだ。みんなと同じではなく、あなた自身の暮らしが送れるようになるだろう。 それにはこんな自問をするに限る。「自分は本当はどんな暮らしを望んでいるのだろうか?」「自分は本当に望んだように生きているのか、それともいままでの習慣や人の期待にこたえようと生きているのか?」 あとは静かにこころの声に耳を傾けるだけ。答えを探そうとせずに、答えの方から近づいてくるのを待とう。


これを読んでいま選択しようとしていることは、こころに正直になって得られた答えなのか・・・
これをすることで人生ハッピーになるのか?
自分はそうでも周りはどうか?家族・・・

いつも頭でっかちと言われる。頭でいろいろと考え過ぎてしまう。でも、今回のことに関して言えば、考え過ぎて困ることはないだろう。一生の問題だから。そろそろ堂々巡りにもけりをつけないといけない時だ。



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昨日図書館から借りてきた本 [読書]


昨日会社の帰りに図書館によって本を借りてきました。
いつもは借りるより買ってしまって妻に文句を言われ続けているのですが、昨日は何故か借りようと思ったのです。
でも・・・・・・・借りたい本は既に貸し出し中。
横浜市の図書館なので、PCで借りたい本が今どこの図書館にあって、貸し出し中か否か確認ができます。
他の図書館にもその本はありましたが、なんとそれも貸し出し中[もうやだ~(悲しい顔)]

その本とは「韓国のガイドブック」
今まではソウルのガイドブックを3冊持っていて、それで周辺のイチョンやスウォンもカバーしてくれてましたが、今回の韓国旅行は「慶州」がメインの旅行地なので、「ソウル」編では無理で「韓国全土あるいは慶州・釜山」のガイドが必要になったのです。

買うと確かに高いですね。たぶん慶州は1回行けばOKなので、ガイドブックを買うほどでもないと、何故か今回はそう思えたのです。そこで、図書館の登場と相成りました^^

でも、人気の韓国のこと、やはり1冊もありませんでした。全部貸し出し中
カトマンズ・ネパールはありましたが・・・

だから仕方なくいろいろと物色していたら、こんな本に出会えました。

「団塊諸君 一人旅はいいぞ!  森 哲志著」
著者は朝日新聞の記者で、60歳の定年後何をしようかと思案していると、今まで仕事一筋で頑張ってきて海外なんて夢のまた夢の生活を送ってきたので、憧れの海外を・・・それもお決まりのコースを行くパックツアーではない気ままなバックパッカーになって海外を見て回るという、そういう内容の本です。
東アジア・東南アジア・南アジア・南西アジア・西アジア・・・そうなんです、アジア全域を回った旅行記なんです。

そして「決定版 バックパッカーズ読本」
サブタイトルに「究極の個人旅行ガイド」とあります。
個人旅行をする際の細々とした注意事項が書かれています。
私の旅はパックツアーではなく個人旅行なので、この手の本にはとても興味があります。
まだ、韓国だけしか個人旅行はしたことがありませんが、今後もしかしたら試験に合格して「通訳・ガイド」の仕事ができれば、ここに書かれている情報はとても有用ですしアドバイスも的確にできると思うのです。
でも、まずは自分用に[わーい(嬉しい顔)]


そして3冊目は全然趣が変わって・・・
「コリアの不思議世界(朝鮮文化史27話) 野崎充彦著」
何気なく書棚を見ていたら、やはり朝鮮・中国史のコーナーに来ていました。
日本と朝鮮・中国とは文化的にも政治的にも、切っても切れない関係にありますが、意外と双方の関係史について分かりやすく纏められた本がなかったんです。
この本は平凡社新書という「新書版」なので、ページ数も多くなくて読みやすそうでした。
目次だけ見ても知っていそうで意外と知らない魅惑のコリア。朝鮮半島文化史の不思議ワールドを散歩する・・・とあります。


こんなに読めるかな~と思いながらも、ついつい欲張って借りてしまいました。
秋の夜長ではなく梅雨の夜のお供に・・・

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